広報「やまゆり」第96号

福岡司教区教会会計の変更点について

   財務 佐々木 綾子 

主の御復活おめでとうございます。
3月末にて令和4年度教会会計が決算を迎え、4月より新年度会計が始まりました。福岡司教区報をお読みになった方もいらっしゃると思いますが、教会会計において変更される点がいくつかあります。それによって、健軍教会会計がどのように変わるか、今後の予定と併せてお伝えしたいと思います。
教会の支出の一つに教区分担金があり、ミサ献金と教会維持費の合計の15%を福岡司教区に納めております。これが来年度より30%を納めることになりました。また司祭給与は小教区(各教会)ごとに支出しておりましたが、今年度より福岡司教区から支出されることになりました。この変更で、健軍教会会計では教区分担金は約60万円支出増になりますが、約180万円の司祭給与の支出がなくなりますので、健軍教会にとってはありがたい変更となります。
また、小教区で当面使う予定の無い預貯金を福岡司教区にお預けし、まとまったお金を福岡司教区が運用することによって、その運用益を司祭給与や宣教司牧の費用に充てることになりました。健軍教会でどのくらいの金額をお預けするかは教会委員会で検討していきたいと思います。
この変更によって、健軍教会の会計に少し余裕が出てくるのではないかと思われるかもしれません。しかし教会の現状では楽観視はできません。教会の建物や設備に補修、買い換えが必要になると百万円単位の費用がかかります。昨年度も老朽化していたオルガンが故障し、急遽購入しました。今年度は度々不具合が見られている音響設備を新しく購入する予定です。2025年度には教会建物と司祭館の5年契約の火災損害保険料の支払いが予定されています。いずれも百万円を超える支出です。他に補修工事が必要になることもあるかもしれません。大きい支出は貯金を切り崩すことになる状況に変わりはありません。
今年度は信徒会館(旧さゆり園)を他の幼稚園に賃貸し、その賃貸料も入る予定ですが、一時的な収入であって、このような機会が次にあるかはわかりません。老朽化している信徒会館を維持するだけでも今後大きな費用が必要になってくることが予想されます。信徒会館の活用についても皆さんと検討していきたいと思います。
健軍教会は、信徒の高齢化や信徒数の減少により、献金や教会維持費も減少しております。このような教会の現状を知っていただき、引き続き教会維持費の納入にご協力をよろしくお願いいたします。

四旬節黙想会に参加して

   久野 薫 

3月12日(四旬節第三主日)午前9時半からのミサで、渡辺神父様より大分教区の森山信三司教様のご紹介があり、司教様のご指導による黙想会が開かれました。
ミサ説教では、昨年末にお亡くなりになった教皇ベネディクト十六世は、全世界共通のカテキズムを作られました。その中には祈りとは「神の渇きと人間の渇きが出会うところ」とあり、それが今日のヨハネによる福音の箇所でした。
イエスは旅に疲れて井戸の傍らに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水を汲みに来たので、イエスは「水を飲ませてください。」と言われた。イエスは水を汲むものがなかったのでそう言われたのですが、彼女は「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私にどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか。」と言っています。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからです。
イエスは「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、わたしが与える水はその人の中で泉となり、永遠の命にいたる水がわき出る。」と言われました。サマリア人の女性は、イエスがだんだんに物理的な渇きのことを言われていないと理解します。
マザーテレサの会では、建物に「私は渇く」と掲げられています。マザーテレサは、社会福祉事業ではなく、イエス様の「渇き」を癒す為に働かれました。また、マザーテレサは「人の為に使うときその命は輝く」とおっしゃっています。
司教様は、また「新型コロナになって三年がたちました。私の知っている大学生は、コロナに罹り命を落としました。何もしてあげられず残念に思っています、今もどれほど多くに人が渇いていることでしょう。」とお話しされ、四旬節を過ごしている私達にも、同じく心からの改心が求められていると諭されました。
ミサ後の講話の中で司教様は、ご自身のご家庭のこともお話になられ、お父様は熱心な日蓮宗の信者であったこと、お父様がお亡くなりになった後には、何人かの兄弟がミサに行くようになったこと等もお話しされました。福岡教区で三十年、その後中央協議会で働き、昨年七月に大分教区の司教に任命されましたが、生涯、牧者としての道を大切にしたいとお話し下さいました。
そして四旬節の四十日の期間は、聖書では大切な意味を持っています。四十日、四十夜のノアの洪水、エジプト脱出の四十年間、イエス様の荒れ野での四十日間、その他、多くのことを記念していることをお話し下さいました。
さらに、キリスト教の信仰の土台はユダヤ教です。当時は、王様に従っていれば衣食住は保障されますが、そうでない者は自由でした。また、現代は、死の文化が大きく覆っている時代です。教皇フランシスコは、命を守るために、働かれています。「誰の為に生きるのか?すべての命を生かすために生きる。」という視点のお話に心を打たれました。
また、ミサは「ミッションです。」ともお話しされ、「キリストの体」と言うとき、「キリスト・私たち共同体・ご聖体」を意味します。共同体をお互いに大切にしましょうと、お話しされたことを心にきざみました。
最後に司教様は、個別の「ゆるしの秘跡」を授けて下さって、四旬節黙想会は感謝のうちに終了しました。

主の過越の食事の体験会が開催されました

     広報 野々目 洋 

受難の主日(枝の主日)4月2日のミサの後、旧さゆり園ホールにて主の過越の食事の体験会が開催されました。参加者はおおよそ30名でした。
主イエスの最後の晩餐はユダヤ教の「過ぎ越しの祭り」の食事と関係付けられています。当日は、主イエスがどのようにして弟子たちと過ぎ越しの食事をされたのか、その食事のどの場面で聖体の秘跡を制定されたのかを、ユダヤ教の過ぎ越しの食事を再現しながら体験しました。
ブドウ酒(ブドウジュース)、パセリ、酵母を入れないパン、子羊の肉、苦菜(青じそ)、ハロセット(果物のディップ)などをそれぞれの意味を渡辺主任司祭から教えて頂きながら食しました。今まで聖書に書かれている過ぎ越しの祭りについては何も知らないまま想像していたのですが、初めて体験する事ができ、主のご復活を前にして最後の晩餐の深い意味を改めて心に刻むことが出来ました。

幼きイエズスの聖テレジア様に導かれて

   田上 陸子 
  
菊池郡大津町大津小学校卒業後は九州女学院に入学することになりました。(現在校名変更でルーテル学院高校です。)
昭和16年4月から豊肥線の列車(肥後大津駅午前6時48分発)で5年間汽車通学が始まりました。3年生のとき、同じ汽車で通学していた2年下の稲葉きよさんから「田上さん、この本読んでみませんか」と貸してくれたのが幼きイエズス様の聖テレジアの伝記「小さき花」でした。自宅の机の上に数日置いていたのを母が読んだらしく、この本は「すばらしい」の連発でした。この本が後で私共の生涯に影響を与えました。数年後、同居で仏教徒の祖母が死亡したので母が「ばあちゃんはお寺に供養をお願いして」私たちは「カトリック信徒になろう」と言いました。当時は大津町に住んでいました。母は用件で熊本市内に出かけるときは、手取教会の掲示板を眺めたり聖堂をのぞいたりしていたようです。母からは「あんた熊本に出かけたときは、手取教会の掲示板に貼ってあるカトリック新聞下さいと言って、もらって来なさい。」と言われて、もらってきた事がありました。
ある程度期間が過ぎてから母は手取教会のミサの時間を調べて出向き、かなり早く着いたらしく誰も居なかったため、聖堂内は畳の部分と長机の部分があり、どちらに居ればよいか分からず入口付近の板の上に座っていたら、和服の女性から声をかけてもらい、始めて来た事を話したら親切に世話して下さったそうです。その方は当時教会の敷地内で教会が経営していた聖マリア学院の安東先生でした。以後洗礼を受けるまで面倒を見て頂きました。安東先生の紹介で信愛女学院のシスターイメルダ様の指導を受ける為、日曜にミサ後信愛女学院に行き、公教要理の勉強をお願いし1年近く続き、聖母被昇天の祝日に親子共洗礼を授けていただきました。主任司祭はハンター神父様でした。母が45歳、私は20歳でした。その後大江1丁目に転居したので帯山教会設立に伴い移籍し、その後更に現住所に転居し、健軍教会に所属して43年になります。
神父様、信徒の皆様に支えられ、3月4日に94歳になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さん、こんにちは

   テレジア 中山 初枝 
  
私は現在九三歳です。国分電停近くの高齢者マンションに住んでいます。4階の部屋の前の廊下からは遠くに金峰山が見え、ちょっと開放的な気分になれます。
部屋の掃除は、まだ何とか自分でやっております。朝食は自分の部屋で簡単なものを用意して食べておりますが、昼食と夕食は階下の食堂で入居者の方々と一緒にいただいています。入浴は階下の入浴場で、ヘルパーさんの介助で入っています。
私には三人の息子がおり、それぞれ家庭も持って横浜、名古屋、大阪に住んでおります。三ヶ月に一回位交代で来てくれています。それぞれ、毎日電話かメールをしてくれています。
こういう所では孤独な面もありますので、「あまり長生きしたくない」と私が言いますと、どの子も「そんなことを言うものでない。神のおぼし召しで生きているのだから」と言います。子供が小さい頃教会に連れて行っていたので、その影響があるのではないかと思ったりします。
循環器内科や歯科などで外出する時は、施設のスタッフの方の付き添いで行きます。私は自律神経が乱れておりますので、その日その日で気分が変わります。今は何とかボケないで過ごさせて歩けますので、ありがたく思っています。
渡辺神父様にもおいでいただき、告解が出来て嬉しく思いました。室内では短い時間ではありますが、毎日お祈りしております。
また久野薫さんが二、三ヶ月に一回程度の間隔でご聖体を持って訪問して下さいます。ご聖体をいただいた後に、いろいろなお話しの機会があり嬉しく思っています。
教会の皆様に、お世話になる日がきましたらよろしくお願い致します。

洗礼の恵みを受けて

   馬込 由紀

私がカトリックと出会ったのは、平成3年の春、幼稚園教諭として出発した人吉幼稚園でした。毎週土曜日の勤務終了後にカトリックについて園長先生から話を聞いたり、復活祭とクリスマスにミサに与ったりして過ごしていました。また現在に至るまでずっとカトリック幼稚園に勤務しており『祈る』ということが特別なものではなく身近にあり、いつかそれは私の中で自然な事になりつつありました。それに加えて毎年夏休みにはカトリック研修会に与る機会もあり神父様やシスターの講話から目には見えないけれど神様はいつも傍らにいて下さり、その時はわからなくても振り返ったときあれがそうだったのかなと感じる事もありました。しかしなぜか洗礼を受けるまでには至らず、年に2回復活祭のクリスマスは教会へミサに行きミサに与るのが私の習慣みたいなものでした。
洗礼を受けるきっかけとなったのは恩師であるシスターとの会話です。昨年の3月末で園長職を退任され熊本を離れられる事が決定しておりこれまでお世話になった感謝を伝えたり思い出話をしていた時『離れるまでに洗礼を勧めなかったのが悔やまれる』とおっしゃった事が洗礼を受けようと決心したきっかけです。
洗礼を受ける日の朝、育てていた胡蝶蘭が一輪咲き、これは私の都合よい思い込みでしょうが、神様から【その時がきた】とメッセージをいただいたように感じました。
渡辺神父様、代母を受けて下さった松本ミチ子様をはじめ色々な方にお世話頂き洗礼の恵みを頂きました。その気持ちを持ち続けてこれからも過ごしていきます。

健軍教会の皆様へ

                      佐藤 武敬
  
私は去る2月5日のミサの後、皆様の前で転出の挨拶をした者です。
東京へ来てから1か月以上経ちましたが、テレビで全国の気象情報を見る時に、やはり熊本を先ず見てしまいます。
東京の街へは1回だけ、上野の森美術館へ行きました。娘婿の車の助手席から休日午前中の東京北部の下町を眺めた時には、大都会の寂しさのようなものを感じました。
思えば、健軍教会へ通い始めたのは5年前の正月でした。
ある日、家内と二人でがらんとした聖堂の片隅に座っていた時、一人の女性が優しく言葉をかけて下さいました。長崎出身という事だけで、お名前も知らないまま私は教会を去ってしまいましたが、その時の「語りかけ」のお陰で健軍教会のお世話になる気持ちが固まったような気がします。街や駅などで迷っているような人を見かけた際には、優しく語りかけてあげる事が大切だと思います。
その後、神父様のカテキズム勉強会、教会の先輩によるキリスト教講座を経て、4年前のクリスマスイブに洗礼の恵みを受けました。
その時に皆様の前で挨拶したのが1回目で、先日のが2回目になります。
私はコルベという洗礼名を選んだ理由を説明したあと、これからは「愛する」
「祈る」「赦す」ことについて努力する決意を披露しました。この三つの中では三番目の「赦す」が一番難しいと日々感じています。
それからの3年間はコロナに明け暮れた期間になってしまい、ミサに与る機会も減ってしまいました。
しかし、健軍教会で過ごした5年間の感想を訊かれると、「居心地が良かった」の一言に尽きます。
その理由を考えますと、教会を運営して行くためには、礼拝の取り仕切りや経理、教育、広報などのソフト面と、施設の営繕から草取りに至るハード面の両方に大変な労力が必要の筈ですが、自分はお世話をして頂く立場にしかいなかったと言う事です。
事後的になりますが、教会の役員の皆様には深く感謝申し上げます。
このところ、コロナはようやく終息に向かっているようですが、それに代わって多くの家庭で問題になっているのが、「認知能力の低下」だと思います。
医療の進歩のお陰で、長生きする人が増えたのは良い事ですが、マイナスの面がこの問題です。この認知能力の減退に反比例して、過去の記憶に固執する頑固さの増大が見られるので、周囲の家族には「ひたすら耐える」ことが求められます。更にできれば、聖書で学んだ「病人に対するイエス様の眼差し」を真似できればよいがなあと思います。
その上更に心掛けたいと思っているのは、教会の先輩から教わった「機嫌よく」あることです。これが出来れば自分も幸せ、周りも幸せになれるからです。
当地に転入して、どこの教会にお世話になるか、まで決めておりません。
歩く力が衰えてしまいましたので、公共交通機関を利用した上で、なるべく歩かなくてもよい所を選ぶつもりですが、そこが健軍教会のように居心地の良い教会であることを願っています。
末筆ながら世界の平和と健軍教会の皆様もご健勝をお祈り申し上げます。

お知らせ

 福岡司教区広報部より、主のご復活のお祝い日 2023年4月9日(日)に、大名町教会1階に「大名町書店『ぶどうの樹』」がオープンする案内が届きました。
 福岡にお出かけの際にはぜひ足をお運びください。

(編集後記)

 主のご復活、おめでとうございます。まだまだコロナ対策のマスク生活の習慣から抜け出す勇気が出ず(実は花粉症対策でもあり)、様子見をしている私ですが、久しぶりに皆様と共にイースターの祝宴を楽しく過ごしたいと思っております。   

主の平和。

野々目 洋(E-mail:hiroshinonome@gmail.com)