広報「やまゆり」第99号

離任、そして今

 前主任司祭(合志市在住) 渡辺 隆義
 司祭の定年を迎えたのを機に引退させていただいて、もう4か月が過ぎました。2020年3月からの健軍教会在任中たいしてお役に立てなかった私を盛大にお見送りいただいたのがついこの間のようになつかしく思い出されます。
 この時期、住んでいる家の敷地内にはいろんな植物が自分たちの時を謳歌しています。雑草として抜かれるものもそっと自分の命の一部を大地に残していくようです。そんな風景にイエスの言葉が重なります。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった…。明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日が思い煩う。その日の苦労はその日だけで十分である」(マタイ6:29-34)。
 司祭を辞めたわけではありませんので、国内外のあちこちの教会に出向いては学びの機会としています。来訪者のために不定期でミサをしたり、ご家族から命日のミサを依頼され20名ほど集まったこともあります。説教という形より参加者との分かち合いを重視しています。信者の皆さんの生の声を聞くことができて、とてもありがたいです。
 週報を作る必要がなくなり『ちょっと質問してよかですか』からは解放されましたが、すべての質問事項にお答えできたわけではありませんので、今も聖書のこと教会のことをコツコツ勉強し続けています。
 ということで、主任司祭という責任からは自由の身とはいえ、小教区で奉仕させていただいた頃と生活スタイルはほとんど同じです。
 近くにお越しのときは、どうぞ気軽にお立ち寄りください。セルフサービスで飲み物くらいは用意できますので。
 すべての人に感謝と愛をこめて。

ヨゼフ・アベイヤ司教様を迎えて

 ヘレナマリア 井上 輝美
 6日、高遊原教会、そして7日には、健軍教会へと忙しい中、司教訪問して下さいました。
 ミサの前に、いつもより多くの方が参加されるロザリオ祈りによりミサが始まりました。
 司教様より三年後の福岡教区創立100周年に向かって今年の6月16日から2027年6月16日の3年間に向けて、「感謝」、「情熱」、「希望」の3つの言葉を心に刻み、言葉の理解とそれに伴う活動を深めて「お互いに支えあう交わりの教会となる」を目標に各小教区で話し合い、研修会を開き具体的な動きを決め共に歩んで行きましょうと、力強い話しをされました。
 又、翌週のミサでは、福岡教区の全教会に、司教様の意向の文章が送られるとの事でした。最後に、信徒を代表して信徒会長より司教様への霊的花束を捧げる事が出来ました。
 ミサが終わりアベイヤ司教様と中村神父様をかこみ信徒の手作り弁当を食べながら一時を過ごしました。
 2時から恵楓園でのミサとの事で武蔵ヶ丘の信徒の方が迎えに来られ司教様を見送ることが出来、感謝でした。
 翌週のミサでは100周年に向けての今日からの歩みに対するアベイヤ司教様からの一人一人へのお言葉として、以下のようなメッセージが届けられました。
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)との主の言葉を受け止めた聖フランシスコ・ザビエルは1549年に日本に初めてキリスト教を伝え、博多にも1554年聖堂が建てられ、殉教者の証と奇跡はわたしたちの教区の土台になっています。貴い遺産を受け継いでいます。
「感謝」、「情熱」、「希望」はわたしたちの歩みを導く光です。この三年間心に留めていただきたいことばです。
 創立100周年の記念日までの三年間は償いと回心のときでもあるはずです。
 アベイヤ司教様からのメッセージに感謝しながら、福岡教区創立100周年のための祈りが唱えられました。

殉教の地・長崎に来て

 諫早教会 久野 薫                   
皆様、お元気ですか。
私は、熊本地震の年までは元気でしたが、その翌年位から脊柱管狭窄症や骨粗しょう症の症状で、腰痛や下肢の痺れが常にあります。ヨタヨタしながら少しは歩けますが、何とか体が動く内に将来のことを考え、行動に移さなければと思い立ちました。
次男が住む福岡の博多は都会で馴染めないので、長崎・諫早で賃貸マンションに住む娘の家族の傍に引っ越ししようと思いました。主人も賛成し、それからというもの引っ越しに向けての歯車は順調にまわり始めました。
私達は高齢者だから賃貸契約は出来ません。マンションを買うという目的で、主人は娘が住む近くのマンションをネットで探していて見つけました。直ぐに長崎の不動産に電話をしましたら、先に申し込みをしている方がおられ私達は二番手でした。そのマンションに心を残しながらも諦めていた時に、長崎の不動産から電話が来ました。何と先に申し込んでいた方が審査に合格しなかったそうで、二番手に申し込んでいた私達にチャンスが来たのでした。主人は、直ぐに長崎のマンションの内覧に行き不動産に手付金を入れて来ました。
長崎といえば、私にとってはいろいろご縁のある所です。私は20年程前に長崎の殉教地巡りをし、「長崎巡礼」ー教会・殉教地賛歌ーとして本を出しております。長崎巡礼のきっかけとなったのは、私が洗礼を受けた時の代母・シスター永田が、姫路の聖マリア病院から長崎の「聖フランシスコ病院」に病院長として派遣されましたので、シスターにお会いすることと、「長崎の殉教地巡り」をしようと決心しました。
また、娘が長崎で出産し体調不良になった時、私は熊本から高速道路を運転して来たことが二度ありました。私達夫婦も80歳を超えています。亡くなった時には、娘の家族が私達のマンションに転居して、長男と一緒に暮らしてくれるように頼んでいます。 近いうちに、福岡にいる次男の家族もこちらの様子を見に来るようですが、将来の私達の考えは次男にも伝えています。
私達のマンションは7階で、3LDKです。ベランダが広いので、主人は大工道具を並べて、必用な棚などをせっせと作っています。ベランダからは、小学校や中学校も見えます。長崎は坂の多い町ですから、上に向かってカラフルな屋根の色の住宅やビルが建ち、その先には大小の山また山が重なってその上には青空が広がり見事なパノラマです。夜景は特にきれいで見とれていますが、ビル風が常にヒューヒューと鳴っています。
6月22日熊本を経ち長崎に来て、片づけやいろいろな手続きに追われましたが、主人は、諫早教会のミサに与っております。私は体調が良くなってから行きます。諫早教会には、「聖地巡礼」で一緒だった友人がいるのが心強いです。毎晩のロザリオのお祈りの中で、カトリック健軍教会の皆様のためにもお祈りしております。

転入先 諫早教会のミサに与って

 諫早教会 久野 重宏
諫早に引越しして2週間後、荷物の片付けと役所等の諸手続きがほぼ終わったので、初めて諫早教会のミサに与りました。
諫早教会は、島原鉄道の諫早駅から歩いて10分ほどの小高い丘の上にあります。私は自宅から約20分かけて自転車で行きました。教会に近づくにつれ上り坂が急になり、自転車を漕いで最後まで登ることはできませんでした。
 当時、イエス様の山上の垂訓を聴くために、群衆もこのように息を切らし、山を登ったかもしれないと思いながら、自転車をひいて歩いて登りました。
教会の庭から諫早市内が一望できます。
聖堂は外壁が白色で、屋根は三角形で美しい建物です。聖堂入り口には、守護の聖人パウロ三木の銅像が立っています。隣接して純心幼稚園もあります。
創立は1932年、最初の聖堂は鉄川与作の設計で、現在の聖堂は改築されているそうです。
主日の日曜日のミサ時間は9:00から、土曜日は19:00からです。
座席は健軍教会と同じで、三人掛けベンチで座席数は健軍教会と同じぐらいです。ミサに与る信徒数は、今日は160人位で席は満席になりました。遅く来た人は席に座れなくて、十数人は後方の床の上に正座をして、ミサに与っていました。男性は青年、壮年、熟年と比較的多く全体の40%ぐらい見られました。
子供の人数も多く、教会学校にしっかりとつながっていて、聖歌,お祈りの声が大人の声に混じってかわいいです。
聖歌隊は男女約20人で、聖歌の低音のパートと高音のパートがハモリ、また弱く歌う所は弱く、強く歌う所は力強く歌い、まるでコンサート会場に来ているようで感動しました。毎月一度フォークミサがあり、ギターとフルートの伴奏で楽しそうです。ちなみに、私はミサ後に聖歌隊の方から入隊の誘いを受けました。私は即入隊を決めました。毎週、火曜日に聖歌の練習があるそうです。
神父様の説教は5分間以内です。初めの2分間は会衆を和ませるお話で、後の3分間が今日の福音に関する説教です。後の3分間は、心を集中して聞かなければ聞き漏らしそうです
ミサの帰りは来た時とは逆で、下り坂なので自転車にまたがり、漕ぐことなく風を切りながら楽楽坂を下り、帰宅しました。これから諫早教会の信徒の皆様と交わることが楽しみです。  
神に感謝。

提案 聖堂内などの整理整頓について

 信徒会長 清田征一
 聖堂東側の部屋には以前聖堂で使っていた椅子、家庭用の暖房機、電気カーペット、座布団などが整頓されないまま雑然と置かれており、皆様の思いを考えると気がかりでした。
 また、旧さゆり園園舎については、皆さまご存知の通り令和3年6月から社会福祉法人秋津福祉会「さくらぎ保育園」が使用され、その後2つの保育園が使用されましたが現在は使用されていない状況ですが同じく物品が残されています。
 このような状況の下、今年の信徒総会で聖堂の部屋と旧さゆり園園舎の物品の整理整頓について提案をしました。
教会の物品は維持費(浄財)から支出した購入品と信徒の方々からの提供(献納)品で、貴重な物ですので個人的に処分することや、教会委員のみで整理整頓することではないと思います。
今後信徒の皆様と共に判断し、協力して使用しないものは処分して聖堂の部屋を整理整頓し、残した物は大切に使いたいと思いますので宜しくお願い致します。

福岡教区創立100周年のための祈り

天の父よ、  
福岡教区のこれまでの歩みを
支えてくださったことに感謝します。
この地域で旅する共同体として、
神の国の実現を待ち望みながら
ともに祈り、みことばに耳を傾け、
ご聖体に生かされて
人々とともに歩んできました。
この道のりを振り返るとき、
母マリアとともにあなたを賛美し、
すべてがあなたの恵みによるものと強く感じます。
福音を証しし、宣べ伝えるよう
わたしたちを派遣されたイエスの呼びかけに
十分に応えられなかったことをおゆるしください。
天の父よ、これからも
あなたの愛にとどまりながら、聖霊に導かれて
福音の光をともしていくことができるように
わたしたちを見守ってください。
わたしたちの主イエス・キリストによって     
アーメン。

(編集後記)

 「やまゆり」は今年のクリスマスに発行予定の号で100号に達します。現在「やまゆり」は年3回発行されていますので、単純に計算すると三十数年間発行されていることになりますが、以前「やまゆり」の編集を担当されていた方からは「やまゆり1号以前にも広報誌が発行されていた。」と言う情報も教えて頂いていますので実際には「やまゆり」は少なくとも35年以上発行され続けてきたと思います。ただ、三十数年前と比較すると教会は大きく変化し、社会一般でもSNS(ソーシャルネットワークサービス)や電子情報が急速に普及した影響で紙媒体の刊行物は激減している状況です。私を含めて電子媒体より本などの紙媒体になじみが深く、電子媒体で活字を読むことが難しく、苦手な方が当教会にも多くおられることは紛れもない事実ですが。
 「やまゆり」の現状は原稿を執筆して頂ける方が殆どおられない状況で、寄稿は殆どなく、毎号紙面を埋めることが困難になってきています。一方で教会に足を運ぶことが困難になられた方などにとっては「やまゆり」は神父様のお話や懐かしい方の文章に出会える貴重な発行物であると思います。
 クリスマスの100号を区切りとして「やまゆり」の発行形態を見直すことを考えたいと思いますが、皆様からご意見を頂ければ幸いです。
主の平和。
野々目 洋