広報「やまゆり」第85号

「信仰によるえらび」

健軍教会 浦川 務神父

人生にはいくつもの節目があるといわれます。誕生し、成長していく中で進路の選択や就職、結婚等人生における重要な選択と決断は、私たちにとってその後の歩みを大きく左右するものです。従って、それらの機会がいわゆる節目といえるでしょう。
私たちにとって生きることは選択と決断の繰り返しですが、その際の基準はどのようなものでしょうか。多くの場合、好みや希望、損得などがその役目を担っていますが、単にそれだけでもありません。特に、神様に出会い、その導きに身をゆだねて生きることを選んでいる私たちにはもう一つの選択の基準があります。それは「信仰に基づく判断」です。今回はこの点について少し考えてみたいと思います。
さて、私たちはこの世にあって生きるものですから、この命を保つために必要なことについては多くの場合本能に導かれています。確かに、本能に導かれて生きることによって自らの命をつなぎ、次の世代にも命のバトンを渡すことが出来ます。しかし、このような生き方は 単に生きるものとしては十分かもしれませんが、「人間らしい」とは言えない歩みに堕ちてしまう可能性もあります。神様の喜びに与るように召されている私たちは、本能に導かれながら、なおかつそれらを超えた選択と決断が求められ、それが私たちにはできるのです。
ところで、「信仰に基く判断」によって生涯を歩まれた方について考えるとき、私たちの心に最初に思い浮かぶ方は他でもなく今日お祝いする御母マリア様です。聖母被昇天の典礼は、神様の招きに信仰によって歩まれたマリア様を讃え、その生涯に倣い、その取りなしを願うことを私たちに勧めます。\r\n私たちが、聖書において見いだすマリア様の「信仰に基づく判断」の具体例は、「マリア・・あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む・・・いと高き方の子と呼ばれる・・・」(ルカ 1章30節~33節)との天使ガブリエルの言葉による神様の招きにおいてです。
この招きは、単にひとりの人の母になるのではなく、神の子であり救い主である方の母になることへの招きでした。この招きは「信仰に基づく判断」が求められました。なぜならば、招きへの承諾は当時の社会状況を考えるならば 公開裁判によって民衆に裁かれ、無残な死が待ち受けていたからです。不安と畏れに包まれていたマリア様にかけられた天使の言葉は「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む・・・あなたの親類のエリザベットも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。神にできないことは何一つない。」(ルカ1章35節-37節)でした。マリア様への説得でもあったこの言葉の中には私たちの能力や努力を活かしながら、さらに高めてくださる聖霊と御摂理に対する信頼が込められていました。
マリア様は天使の「神にできないことは何一つない」の力強い言葉に強められ信仰者として「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」とこたえられて、全人類の救いの為に新たに扉を開いてくださいました。
神様の慈しみ深い愛と赦しに憩う私たちの救いは、このように一人の少女の信仰による選びによって夜明けを迎えることができました。そして、私たちもあの少女と同じ招きをいただいています。それは、人知を越えた神様のために、信仰に基づいて選び、生きることへの招きです。ひとり一人に求められる神様のこたえには違いがあります。しかし、それぞれが神様にとって大切で必要なこたえなのです。ちょうどそれは時計が正確に時を刻む為に様々な部品と歯車が組み合わされていて、それが人目に留まらないような小さな部品や歯車であっても何一つ欠けることはできないのと同じように。
私たちは神様の前に小さな者です。しかし、ひとり一人に違いがあり、小さな者であっても私たちが神様の思いにこたえて信仰にもとづく歩みができるならば、私たちを通して神様の尊く偉大な御国は完成へと近づくことになります。今、私たちに必要なことは「できないことは何一つない」神様への信頼と勇気かもしれません。

「召命の道」

神学校哲学科 吉浦 勲

先日8/3(土)から8/5(月)までの間、健軍教会でお世話になりました、佐賀地区の伊万里教会出身大神学校哲学科1年の吉浦勲です。先日少しお話したとおり、私は高校1年生のときに長崎にある小神学校に入学しました。高校を卒業したあとは主に大学生の神学性が所属する福岡コレジオで4年間養成を受け、今年の4月から大神学校に入学しました。なので、小神学生時代から数えると神学生生活8年目となります。しかし、これまでの神学生生活のなかで自分が司祭にふさわしいと思ったことは1度もありません。正直、別の道に進もうと考えたことも何度もあります。特にそれを考えたのが昨年でした。
昨年、大学4年生の私の周りでは就職活動に奔走する同級生の姿がありました。私の目には彼らが自分の将来について真剣に考え、必死になって活動していると映ったのです。それに比べて私はただレールに乗って進むだけで何もしていないと考えるようになり、果たしてこのままで良いのか、とても悩んでいました。
そんな時私は大学で仲の良かった未信者の同級生に対して、「自分はレールに乗っているだけで何もしていないように感じる。」と相談しました。するとその同級生は「レールに乗るというのもかなりの覚悟がいると思う。何もしていないことはない。少なくとも俺にはできん。」と答えたのです。何か核心をついたような彼の答えにとても驚いたのと同時に、未信者の同級生から「召命の道」を歩むとは何たるかを教えてもらったようで恥ずかしくなりました。
その後、その同級生は無事に就職が内定しました。大学の卒業式の際には彼から、ぜひ私の叙階式に参列したいとも言われ、本当に良き友に恵まれたと感じました。私は彼の励ましもあって、悩んでいた大神学校への入学を迷いなく、胸を張って歩むことができました。
これからも様々なことに悩み、多くの人に支えられながら、この与えられた道を歩んで行くことになると思います。まだまだ未熟者ではありますが、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。

「吉田 迪子 さんの近況」

井手 文弥

長年健軍教会に在籍し、現在埼玉県にお住まいの吉田迪子さん(昭和六年生まれ)からお手紙を頂きましたので紹介させて頂きます。
冷夏と油断させて途端に“生命に危険な猛暑”とか、何か可笑しくなっているのでしょうか。
この度は思い掛けなく懐かしい健軍教会の厳粛な「過越し祭」の様子がよく伝わるお写真にお便り、嬉しく拝見いたしました。
健軍教会は二十数年前に夫も洗礼を授けて頂き、言わば私の実家のようなものと改めて確信いたしました。こちらへ来て籍を移して夫も地下の納骨堂に眠っておりますが、遠方の初台教会までは電車、タクシーに乗り換えた上に腰痛などがあり、略々月1回程のごミサに甘えさせて頂いています。次女は春の夫の転勤で上海転勤になり六月末引越して行きました。二~三年駐在の予想ですが、勿論教会の籍はその儘で、夫の本社への出張に便乗して先日初帰国してこちらへも元気な顔を見せてくれました。私の夫の転勤で小学校も四回転校している次女は環境に馴染むのも早く、上海にも三日で馴れたと親を反面教師に逞しく育ち安心もしました。こちらの長女は昨年夫を食道癌で亡くし、先日初盆を迎え、九月一日一周忌の仏式の法要を行います。現在休講中の初台教会での神父様の要理の勉強も落ち着いたら始めるものと思っております。
健軍教会では椅子も立派なものが入り、フェンスも新しくなり後は子供さんが集まるのが待たれます。健軍教会のためご夫婦お揃いでお健やかにユーモアで和ませて神父様を助け頑張って下さい。
最近益々筆不精になった失礼をご推測下さいませ。携帯をスマホに変えて今、長女の扱いに甘んじて試運転中で、その電話相手をして頂いている健軍教会の田上陸子さん、田上リエ子さんにもスマホの指導をして頂いています。
健軍教会の皆様にもくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。
令和元年八月二日   吉田 迪子 拝

「私の運転歴物語」

久野 薫
私は、二ケ月前に50年程乗った運転免許症を返納した。
横浜の大学病院で看護師の仕事をしながら自動車学校に通い、23歳で免許を取った。免許は取ったものの運転をする機会がないので、一度レンタカーを借りて横浜市内を運転して回ったことがある。自動車学校の教習車とギアの位置が違って、とても緊張して運転した記憶がある。
結婚後も車に乗る機会はなく、28歳頃、私達はいろいろな事情で私の故郷熊本へ引っ越して来た。そして私は病院の仕事で共働き。軽自動車を運転していたが、安い中古車のため修理代が高くついていた。
その後、シャレードいう普通車の新車を買った。軽くアクセルを踏みこんでもスピードが出て私はルンルン気分で運転していた。熊本東署の近くへ来たとき、婦人警官が手を振り呼び止められても、私は自分のこととは思わず後ろを振り返ったりした。何と気分よくアクセルを踏んでいて、スピード違反をしてしまったのだった。それから、免許を返納するまで運転歴は50年程になっていたが、違反で切符きられたのはこの一回だけだ。
今年の秋が来ると私は75歳になるが、もう一度更新し、後3年は乗りたいと思っていた。車も自動ブレーキ付きの新車に買い替えて一年ちょっとだった。けれども、連日のように高齢者の運転事故のニュースがテレビで放送されており、それを見て免許を返納しようと決心した。私は、2年程前から、骨粗しょう症や脊柱管狭窄症にかかっており、足のしびれや腰痛、歩きにくさなどの症状があるので、正常な運転をするのにリスクがあると思っていたので迷わず決心が出来た。
車の運転が出来なくなって後悔したことはないが、しばらくはいろいろと不自由な思いをした。病院通い、日曜のミサやキリスト教講座の日もタクシーを利用している。今は少ししか歩けないので、タクシーやバスに乗ったり、電車に乗ったりと組み合わせながらの2ケ月が経った。不便にはなったが、事故を起こさない安心感が得られたことは大きいし、運転免許を返納できたことは良かったと思っている。

(編集後記)

4月から久野薫さんと二人で教区養成教化委員会主催の信徒養成プログラムに参加しています。今年から3か年計画で年3回、全9回、丸一日のワークショップが手取教会において県内各地の教会の信徒20名ほどが集まり開催されています。今年のテーマは「社会の中で生きる信者」で、自己の信仰の道を振り返りつつ、社会生活との関わり方などについて学び、熟考する機会が与えられました。
私自身が霊的に成長したかはわかりませんが家内からは「あなたの祈りが変わった」と言われました。少しは成長したのでしょうか。私の受けた御恵はいずれ皆様と分かち合いできればと思っております。

野々目 洋